心臓血管センター

次世代を担う、後期研修医・若手医師を募集しています!

研修医修了後の進路について

心臓血管の分野を志す若い先生方のための情報誌

前期研修医、後期研修医が終わったらその先の進路を迷う方は少なくありません。その施設が期限付きである場合や、将来進みたい科により良い環境を求めたい場合は、現在の多忙な毎日のなかで次の行き先を探すことになるでしょう。半年から1年前から探し始めるとしたら、2年の前期研修が始まって間もなく探すということになり、研修に身が入るかどうかです。現在以前より多くの人材が民間病院に移っていますが、病院もすべての部分が素晴らしいわけではなく、その先生にとって不足していると感じる部分や、機器が古いなどの不満があるでしょう。インターネットや転職業者で探す方もいるかもしれません。臨床研修医制度は医師数年目までの道筋は示してくれますが、その先は制度にないからでしょう。明確に示してくれません。この先もずっと病院探しを繰り返していかなくてはならないのでしょうか?

「病院も人材を求めている」とはよく聞く話です。目先のことだけを考えれば、募集があふれている状況をみると、ずっと何か職はあるように思えるでしょう。病院のニーズに合わせて行動して、手に職をつけていけばいい、という話も聞きます。繰り返しの転職で自分探しを勧める情報誌もあふれています。一方で病院の紹介文は、外来数、入院数、検査件数など病院業務の事務的な数字しか書かれていません。医師の側でも、10年目まではほかの人と差別化できるような力など持っているはずもなく、それ以降の年齢の人であれば採用側は現在のメンバーとのバランスを考えたり、その人の診療スタイルが固まっているであろうと予想します。いろいろな病院に直接電話で問い合わせても、けんもほろろにいくつも断られたという話もよく聞きます。

熱意はあるのに、その人のことを思いやって育てようという病院に恵まれてこなかったという方を何人も知っています。人を育てるしっかりしたグループの場合、その病院で大事に人材を育てていって、あとあと進路が違っていたとしても著書や学会で長い付き合いになります。お互いある程度進路の相談にのってくれる関係にもなるでしょう。あるいは、能力が優れていて環境が恵まれていないなら、別の仲間が手を差し伸べるでしょう。当然その人が努力した結果にはなるでしょうが。それは、施設が主導するのではなく、後進を育てたいと思っている個人の努力によるものが大きいです。残念ながら、中には人を育てないタイプの人も多く存在します。とりあえず人手としてほしい、むしろそういった人のほうが多いくらいです。そんな経験が多くなると、人は皆敵であって、頼れない存在で、自分は一匹狼であると考え始め、病院という集団にもなじめなくなってしまいます。

当科では、人を育てたいと考えています。当科では、人手が不足している、という理由では人を採りません。向上心があり、努力を惜しまない方なら最高の環境でしょう。仕事ですのでお互いに緊張感は存在します。向上心がなかったり、努力しない人は、叱咤激励がパワハラにしか聞こえず、お互い不幸な結果になります。その代わり、素直に努力を続ける方にとっては、その努力に報いる最大限の場を提供していきます。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とも言います。技術などの実力がついたある程度のキャリアの方でも、おれはこんなに実力があるから周りは俺の言うことを聞け、というタイプではなく、まだまだ努力を続けなければという方なら、お互い発展できるでしょう。とりあえずその施設にいれば安心、など人頼みの方や、将来継ぐからこの先はそんなにがつがつしなくても周囲がなんとかしてくれるだろう、という努力を好まない方では、おそらく苦痛で不満が出てくるでしょう。

若い医師を育てるということはどういうことか

若い先生や医学生の方々がいろいろ資料を見ていると、「若い医師を育てます」という病院の広告がいろいろあると思います。みんな手とり足とり教えてくれるのでしょうか。期待する側は、気管内挿管を、横でついて教えてくれる、あるいは、マンツーマンで習う、という状況を想像するかもしれません。しかし、いろいろな状況でマンツーマンとしてついた場合に、うるさがられたり、あまりいい顔をされない場合があることは、高校、大学生を経てきた皆さんはよくおわかりのことと思います。では社会という荒波に、一人帆をあげた小舟のように生きていかなくてはならないのでしょうか。

いろいろな病院や大学を経験した人から聞いたのですが、データ入力だけさせて学会発表や論文に名前は載せない、現場の先生が不満を持って辞めてもまた次の人が来る、それでつないでいく、その施設の都合を押しつけて専門でもない仕事内容を説明もなく無理やりやらせる、などの信じられないことはまれではありません。それで若い医師が育つでしょうか。また、トラブルの時に責任者が自分を守る姿勢に転じて、若い先生を矢面に立たせて守らない、というのではチーム医療が成り立つでしょうか。そういう環境も少なくなく、やる気があっても、だんだん意欲を失ってしまいます。

当科では、若い先生にやってもらうことは、一見若い先生に先が見えないことでも、上の先生が自分でできる、あるいは見通しが立っていることです。すでに、上の先生には、若い先生がどこでトラブルを起こしそうかが予測されているわけで、それは、診断プロセス、治療の選択、第一選択薬、病状説明すべてに及びます。それでもトラブルが発生すれば、上の先生がまず一番に対処します。その先生だけで対応しろと放置されることはありません。循環器はチーム医療です。何かトラブルが起きればチームの責任です。患者さんというのは、入院しなければならない苦痛を伴っている状態であり、普段は理性でしっかりとしていらっしゃる場合でも、正常の思考や判断能力がない場合があります。筋道だてて話してもらわないと不満な方、ややこしいことはわからんから信頼できる先生なら任せる、言いたいことはあるがある特定の家族に言ってもらったり決めてもらう、いろいろな方がいらっしゃいます。それを瞬時に判別して、その方が納得して治療の方向に進められるようにする、これは人間が相手である臨床医学独特の特色です。こういったことは教科書には載っていません。そのコミュニケーションが苦手でも、努力すればだんだんできるようになります。

われわれも若い時には先輩のそういう手本に学び、実際教えを請うてきました。それを次の時代につなぎ、若い人材を育てるのが使命と考えています。特に体育会系であるとか、上下関係が厳しすぎるというものではありませんが、上の先生のいいところは認め尊敬する、立場をわきまえて行動する、最低限の「長幼の序」は必要です。「おれは、カテーテルがうまくなんでも広げられる、まわりは大したことのない者ばかり」などある一定の自分の能力におごらず、「うまくはなったかもしれないがこれを発展し続けて次の世代を育て、さらに自分としても発展していくためには自分との戦いである」と謙虚に行動し努力し続ける、そういう目標を持つことが必要です。

ある技術を数年間で習得できるために、症例数の多い病院を探す、それは本質的なことではありません。循環器分野はカテーテルの技術がよくいわれます。残念ながら、症例数を多くするために過剰な適応になっている施設もあり、また、症例数の多い病院という名声を得るために、ランキング本に多額の広告費を払う場合があるからです。我々の分野でのオピニオンリーダーは、この数字には否定的です。それよりも重要な、医師としてリーダーとなる人材を育てるというところは、数字にもならないところですが、その教育を初期の段階で受けるか否かは、あなたの一生に大きな違いをもたらすことでしょう。そういう考え方に賛同されるなら、当科で一緒に仕事をすれば、大いに伸びるでしょうし、あるいはそれに向かない方は選ばれないほうがいいでしょう。

なぜ論文や学会発表をするのか

何をするにも好きになれば他人がどうこう言っても勝手にするものでしょう。趣味や特技というものはそういうものでしょう。しかし、見たこともやったこともないことは、好きも何もわからないでしょう。論文を発表したり学会発表したりする人は、医師のすべての人ではありません。しなくてもやっていけるのです。論文を書けば、偉くなるかもしれません。しかし、その動機の大部分が功名心からであれば、偉くなった後はやめてしまいます。どうして自分の時間を削ってするのでしょうか。

私を含め、論文を常に書いている人の話を聞くと、集まったデータから結論が導き出されて、新しいことが分かる、それが楽しいというものです。特に、臨床研究では、毎日診療に当たる患者の方ひとりひとりを治療するだけではなく、そのデータを集めれば、次の世代や将来の別の国の患者さんにそれが生かされる可能性がある、というのは、重要なことです。皮肉のように、論文のほとんどは、誰も目に触れない、あまり役に立たないものである、と言われることもあります。それは、目標がおかしいわけであって、「患者さんの治療に役に立つ研究」をすれば、それは役に立つわけです。インターネットで論文を検索することができなかったころには、論文を出すと世界のあちこちから論文を送ってほしいという手紙が来て、その影響力に驚いたものです。

学会発表も、あれは目立ちたがり屋がするものだ、といわれることもあります。しかし、その場に立ってみたり、世話役をしてみると、準備やアレンジに大変手間がかかり、努力は嫌だが目立ちたい、などと言う人にはおよそ不向きです。自分の見つけた知見を、仲間に聞いてもらって、おかしいところを指摘してもらったり、わからない分野を知るために聴講に行くというのが本来の目的で、それが得られる場には勉強したい人が集まり、たんに集まって談笑したいだけであれば、お互い忙しく集まらないようになります。会も続きません。人に説明するという訓練を積むことにより、医師の毎日の臨床には活かされるようになります。

民間病院は診療して、大学病院では研究して、などとだれが決めたのでしょうか。民間病院でたくさんの方を診て、その疑問を基に研究をする、ですから、たくさんの病気を診ることのできる民間病院で臨床研究はできます。ただ、もともとしなかったりやめてしまう人ばかりであれば、若い先生がしたいと思っていても、その環境では誰も教えることができません。Pubmedに最初に自分の名前が乗った時の感動はだれでも大きいものです。当科では、日々の臨床から疑問を持つという訓練をしていきますので、常に探究心を持って診療にあたり、それを基に研究して学会や論文にするという、なんら引っかかることのない自然な流れで若い先生の訓練を行っています。なにより、受験勉強のような情報の受信から、論文、学会発表といった情報発信へと頭を切り替えることは、自分でそうしたいと思うほかに、上司などの姿を見たり、直接指導を受けることでそのモチベーションを持ち続けることができます。

意欲に見合う病院に出会うためには

今回は、転職について循環器医師の立場で考えたいと思います。「そんな情報などいくらでもあります」しかしそれは医師が書いたものではないでしょう。転職の業者さんが書いたものでしょう。当然自分のやりたいことをやれるところを探し、あまりに離れていれば替わる、そう考えるでしょう。しかしどこに書いているかです。ホームページは横並びの似たり寄ったりの情報です。特技はと言っても、あなたが若ければ特にこれと言ってないかと思います。医師はどうやってキャリアアップしていったらいいのでしょうか。

いろいろ若い先生と話をしていると、1年か2年ごとにかわっていく方が多くなっているように思います。当然、前期研修医をA病院、後期研修医をB病院とするとすでに2か所ですし、そのあと、1,2か所迷っていくかもしれません。循環器はチーム医療ですから、そのチームの分担が決まっていきます。人数の多いところでは、比較的若い先生は力仕事、下働きのようで、あまりいろいろな手技はさせてもらえず、それより上級の先生は専門的手技を習熟中、となって、いつになったら手に職がつけるのか疑問に思われる場合もあるかもしれません。

受け持ち医が1年ごとに替わるのでは、患者さんも病院が信頼できなくなり、病院にとっても迷惑をかけてしまいます。研究的態度で話をすると、プランを立てて一からセットアップして軌道に乗るまで約3年かかります。ある施設にいても、3年間はあまり市民権も発言権もなく、毎日必死でやって3年を超えたころ周囲から見ても本人から見ても存在感が出てきます。その辺りからだんだん周囲から安心した目で見られるのです。一つの分野を極めるのに一生をささげる人もいるぐらいです。2,3年ある分野にいたからといっても、その分野ではひよこです。その点から、あまりに転職が多いのでは、飽きっぽい、長続きしないというマイナスのイメージで見られてしまいます。そうなれば重要な仕事は任せにくくなってしまいます。

病院のレベルは日本全国均一で同じ医療レベル、同じ倫理観、使命感を持っていると考えがちですが、ずいぶん違います。学会活動を活発に行っていれば、どこがどういうレベルでなどの話は無数に入ってきます。「就職してみたところ、こんなところで、個人を大切にしてくれなくて…」との話を聞いて、そりゃ、あの病院ならそうだろう、という話はいくらでもあります。若い先生が病院の情報に乏しくて、いろいろ遠回りしているのを見てきました。決して楽をしたいわけではなく、自分は当直もカテーテルもバリバリやりたいのに、その意欲が満たされない、有名どころの病院はいまだに医局人事で、問い合わせても断られる、どうしたらいいのか。

もし、意欲に見合うような病院にまだ出会っていない場合には、学会や研究会などのオピニオンリーダーで活躍している先生をつかまえて相談するのが一番です。キャリアアップは上司の先生の進歩しようとする姿を見れば、それが見本になるでしょう。自分の意欲に見合う病院かどうかは必ずしも病院の有名度や規模とは関連しません。尼崎中央病院心臓血管センターは公募で来られる方も大事にしています。チーム医療ですから、周りと協調する必要がありますが、一匹狼を好む方以外なら、協調は訓練で可能になります。そして進歩したいという意欲があれば十分です。その意欲と努力を実らせるチャンスはあるでしょう。

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